2023年4月6日木曜日

『蚕から糸へ、糸から着物へ』

 2020年から取り組んだ、『蚕から糸へ、糸から着物へ』。

養蚕農家で大切に育てられたお蚕さんの繭が、中島愛さんにより座繰りという希少な手法で絹糸となり、染織家の吉田美保子さんがデザインを考え染色し丹精込めて織りあげられ、一着の美しい着物へとなりました。

 

お蚕さんを育て繭となり、その繭から糸が引かれ絹糸となり、その絹糸が染織され一枚の布となる。

ひとつひとつの工程の奥には、深い技術と思いがあります。

 

その完成までの全工程を、着物ライターの安達絵里子さんが、note『蚕から糸へ、糸から着物へ』というタイトルで、39回にも渡る連載を丁寧に綴ってくださっています。

 私はお蚕さんを育てる養蚕農家ですが、その内容や思い、今まで伝えたいことはたくさんありましたが、あまりにもありすぎて、どのように伝えたら、書いたら良いのか、全てをお伝えするのは難しいなといつも思っていたのですが、安達さんが本当に詳しく丁寧に書いてくださいました。

私がお話したことだけではなく、安達さん自身が調べられた文献や資料は、相当な量であったと思います。

繭から絹糸へとなる過程、絹糸から着物へとなる過程、そしてそれぞれの思い、全て読んでいただきたいです。

 

長い歴史の中で生み出され脈々と受け継がれてきた技術と心。

その技術と真剣に向き合い、各々の手で日々研磨し続け、そして、美しい作品が生み出されていく。この繰り返されていく営みの全てを伝統というのだろうと思いました。



完成したお着物は、「Blue Blessing」(ブルーブレッシング:青の祝福)と名付けられました。

(「Blue Blessing」の全姿は、『蚕から糸へ、糸から着物へ』第【34】回からご覧いただけます。)

初めて「Blue Blessing」を目にした時の喜びと感動は、今もはっきりと覚えいて、それが今の自分にとって大きな力になっていることを日々実感しています。

 

Blue Blessing」は、染織家の吉田美保子さんが、『糸たちのふるさと、熊本の豊かな自然と清らかな水の流れ』に思いを寄せてデザインされました。

大切に育てたお蚕さんの繭が、中島さんの元で眩いほど神々しい絹糸となり、そして、吉田さんの美しい作品になれたこと、心から嬉しかったです。

 

このお着物は現在、素敵な方とめぐり合い、大切に愛されています。


この取り組みを通して、安達さん吉田さん中島さんの、それぞれの想いを表現し形にしていく真剣な姿勢から、私は多くのことを学び、そしてたくさんの刺激を受けました。

人の手によって作品が生み出されるまでに注ぎ込まれる、情熱、エネルギー。

その対象と真剣に向き合う時間は、とても静寂で、一本の糸が張り詰めたような緊張感。空気は清らかに澄んで穏やかなのだけれど、そこに他からの念など入り込む隙はない。

そして真剣な時間を終えた時、張り詰めた糸も、力も残っていないのだけど、そこには余りあるほどの喜びが待っていてくれる。

世の中にある美しいものには、さまざまな人の手がかかわっている。

その人々の手が真剣であるからこそ、心動かされるような美しいものに出会えるのだと思った。


お着物一反分の繭。


 

山鹿に集合して、初めて『Blue Blessing』がお披露目された日のことを、新聞で記事にしてくださいました。この記事の反響はとても大きく、そのことがきかっけとなり、山鹿市役所で【里帰り展】として、お着物を展示していただくことになりました。



【里帰り展】の初日は、ちょうど晩秋繭の出荷の日でした。

出荷を終え会場に着くと、「わぁ~美しかね~」と『Blue Blessing』を見つめる人々の姿がありました。

本当に嬉しかったです。

そして、かつて養蚕が盛んだった山鹿市、訪れる多くの方から「昔うちの親も蚕さんば飼っとって、よう手伝いばしよった~。頑張りなっせよ。」と声をかけていただきました。

晩秋繭の出荷を終え、緊張の糸が緩み、皆さまの温かな言葉と優しさに、涙が出ました。

本当にありがとうございました。

いただいた言葉を胸に、しっかりと頑張っていきます。


39】取っておいた「残り糸」からショールを作りました!|蚕から糸へ、糸から着物へ|note

安達絵里子さんの【蚕から糸へ、糸から着物へ】、最新回は、吉田美保子さんが『Blue Blessing』を織られた際に残った糸を繋ぎ合わせて織られたショールの記事です。

 

以前吉田さんが、「花井さんが大事に育てあげた繭から、中島さんがあんなに丁寧に絹糸にしてくださったことを思うと、短い糸さえもったいなくて、なんとかして生かしたい」と、仰られていて、そのお気持ちが本当に嬉しかったのですが、長さ30cm程の繋ぎ合わせた糸の数は、、、なんと1284本!

凄すぎます。。

記事中に掲載されている、お着物姿に羽織られたショール、とっても素敵です。

 

 

 

 

2012年から繭の出荷をさせていただいていますが、自分の育てたお蚕さんの繭が着物になった姿を見たのは初めてでした。

繭から絹糸となり、絹糸から着物になるまでの、本当に貴重な時間を共に過ごさせていただき、私の養蚕に対する思いと喜びは、これまで以上に深いものとなりました。

お蚕さんを育てる養蚕という仕事には、先人方から受け継がれた知恵や工夫がたくさん詰まっています。そのどれもが、お蚕さんからいただいた繭が糸になった時、そしてその糸が織られて布へとなった時、それが最も美しいものへとなるための知恵や工夫です。

土を耕し土壌を育てることも、お蚕さんの成長に合わせた栄養豊富な桑を育てることも、育蚕中の細やかな作業も、全て、良質な繭になるよう受け継がれてきたものです。

そして、お蚕さんを育てる上での勘・感覚というものがありますが、これはしっかりと経験を積んでいく中で培っていくしかありません。

これからもお蚕さんと向き合い、そして自然と向き合い、大切に育てて参りたいと思います。

 

 

『蚕から糸へ、糸から着物へ』の取り組みを通して、たくさんのご縁と、たくさんの優しいお声掛けをいただきました。

本当にありがとうございました。

これからも頑張ります!

 



 


2023年3月10日金曜日

桑の準備

 

春蚕期に向けての桑の剪定がようやく終わりました。


養蚕農家とは、『蚕が食べる桑を栽培し、蚕を育て、繭を生産すること。』なのだが、この桑の栽培、とても奥が深くて、毎年試行錯誤の連続です。

毎日畑であれやこれやと考えて、この冬はえらく時間がかかってしまいました。

春蚕期には春用に、晩秋蚕期には晩秋用に、その時々にちょうど良い桑質になるように時期を遡って仕立てていく。

どんなにお蚕さんを育てるのが上手でも、桑の質が良くないと、繭に顕著に表れる。そして、その年の気候も桑葉にかなり影響する。

特に晩秋蚕期の桑葉は昨今の気温上昇や、その影響による長雨の日照不足など、色々と難しいなあと思う。

気候は自分の力だけではどうしようもないけれど、力が及ぶところは知恵をしぼりたい。


根元から伐採した桑。

稚蚕期(1令~3令)は、専用の稚蚕飼育用に仕立てた桑を使います。

例年、私はこの時期に根元で伐採することはなかったのですが、晩秋蚕期の桑葉が気候により年々固くなっていってる気がするので、この冬は思い切って仕立て直しをしてみようと思いました。今の気候にあった仕立て方や、良いタイミングが見つかれば良いのだけれども。

桑が伸びてきたら、先輩農家さんに相談をしてアドバイスをいただこうと思っています。

伐採したことにより、春に使える桑葉がギリギリになってしまったので、しっかりと考えて使わねばと、春蚕期を前に少し緊張している現在です。

 

稚蚕期にお蚕さんが食べる桑の量は、壮蚕期に比べたらほんの少しの量です。しかし稚蚕期は、お蚕さんの体の基礎をしっかりとつくるための大切な期間。この期間の飼育管理、良質な桑葉と適切な眠起のタイミングや湿温環境で、いかに丈夫な体をつくれたかが、壮蚕期の成長や桑の食い込み、そして繭の作柄()を決めるとも言われています。


生まれたばかりのお蚕さん。

体調2mm程でとても小さくて、体にはまだ毛がほわほわと生えています。

そしてすぐに桑の葉の匂いをかぎ、よじ登って桑の葉の表面を勢いよく齧り出す。

ちょうど良い桑質の時と、少し硬い桑の葉の時とでは、食べ方や勢いが違うのは目で見て分かる程。


やはりその時々の成長に一番適した、美味しい桑を毎日お届けしたいです。

 

 

熊本県では、以前は稚蚕飼育所が地区ごとにたくさんあり、1令~3令は稚蚕飼育所で一括して飼育し、3令の終わりに各養蚕農家に配蚕され、農家では主に4令~5令の壮蚕期を育て繭を出荷するのが流れでした。

養蚕の先輩方から、『昔は年に5回も6回も出荷していた。』と良く聞きますが、出荷の頃には、もう既に次のお蚕さんが稚蚕飼育所から配蚕されていて、飼育回数が増えると共に年間の繭の出荷量も、それに伴う収入も大きく増え、稚蚕飼育所の存在はとても大きかったと言います。

そして昭和50年代には、稚蚕飼育所の飼育が桑葉から人工飼料へと変わり、空調や設備なども整い、稚蚕期の桑葉の質や気候に影響されない蚕が、安定して各農家へ配蚕されるようになりました。

 

私が養蚕を始めた2012年には、すでに熊本県南の稚蚕飼育所1箇所を残すのみで、県内のいたるところにたくさんあった稚蚕飼育所は全て閉鎖されていました。

その後4年間、最後に残る稚蚕飼育所で、稚蚕期は寝泊りをしながら働かせてもらいました。この期間の学びは、本当に今も私の大きな支えであり財産です。

 

しかし、最盛期は一度に農家百軒以上もの稚蚕を育ててきた設備を持つ飼育所も、農家の数が減っていくにあたり、最後は僅か3軒分だけの飼育となりました。

だだっ広い飼育所の設備の中に、ほんの数軒分の稚蚕が載せられた僅かなパレット。だけど、湿度や温度を管理するボイラーは、稚蚕の量に関係なく、広い室内で大きな音を立てて常に回り続けます。かなりの維持費がかかっていたと思います。

昔は24時間交代で勤務していた職員の方々のために作られた、数十人は寝泊りできるほどの大きな部屋。最後にそこで寝泊りしていたのは、私一人でした。

そして、2016年、熊本県の最後の稚蚕飼育所も閉鎖が決まりました。

作業が終わって布団に入り、大きなボイラーの振動音を聞きながら、先輩方から聞いてきた賑やかで活気があった最盛期時代のお話をぼんやりと思い出していたら、『あぁ、こうやってたくさんの稚蚕飼育所は終わりを迎えてきたんだなぁ。』と、寂しく思った事を覚えています。

稚蚕飼育所での最後の飼育は桑葉育。40年以上続いたこの飼育所に、桑葉が運びこまれたのはこの時が初めてでした。お蚕さんは、一口でも生の桑葉を食べると人工飼料を食べなくなるので、これまで飼育所に桑葉が持ち込まれたことはありませんでした。閉鎖後は、先輩農家さんと私の2軒分の稚蚕を、桑葉で始めることが決まっていたので、最後に所長さんから色んなことを教えていただきました。今も感謝の気持ちでいっぱいです。

 

あれから6年が経ちましたが、相変わらず今も毎回毎回が勉強です。

今、なんとなくではありますが、稚蚕期の桑の食べ方はもちろん、眠起の揃い方やペース、タイミングなどで、桑の質をはじめ、今がお蚕さんにとって快適なのか、何を求めているのか、お蚕さんの言わんとしているところが少しづつ分かってきた今日この頃。私はただただそれをよく見てよく聞いて動かされるままに。

昔のどの養蚕の教科書にも書いてあるこの2つ。

【良質な繭をつくるには土づくりから】

【蚕を上手に飼う要領は眠起をそろえること】

本当にその通り。

 

次の育蚕期に向かって桑を剪定する時間は、これまでに出会った先輩方の顔や、いただいた言葉を思い出す、振り返りの時間でもあります。

本当に全てがありがたく、全てが力になります。


剪定が終わり、これから下の桑畑の耕耘作業に入ります。

うかうかしてたら桑が芽吹いてしまうので急げーッ。ではありますが、とりあえずは23日程、腰を休めさせていただきます...

 

ご近所さんとの最近の話題は、赤ちゃん鶯(うぐいす)の鳴き声が、まだまだ下手くそで可愛いかね~。です。

 

春ですね。

 




2022年7月30日土曜日

倖せはここに

 

真っ青な夏空に浮かぶ白い雲。



桑も元気に育っています。

鮮やかな緑が目に眩しい。



あいかわらずの草刈りの毎日。

梅雨で蓄えた水分と、眩しい太陽の恵みで、草も勢いが増し増し。

40分程草刈したら、木陰に入って長めの休憩。

水分摂ったら、すかさず靴と麦わら帽子を脱いで、体にたまった熱を放出してクールダウン。

 

休憩時間には、近所の91歳のおじいちゃんがお茶うけ(お菓子)を持って遊びに来てくれる。

いつも15分程でサクッと帰って行かれるのだけど、毎回1話づつ幼少時代の思い出話しを聞かせてくれる。

私にとっての『朝の連続テレビ小説』生ライブ。

贅沢な時間だ。

 

 

帰り際にはいつも、『ボチボチやんなっせよ。』と声をかけてくれる。

ありがとうございます。その言葉が、いつもボチボチすぎて不安な私の心を軽くしてくれる。

 

 

 

汗だくで部屋に戻ると、可愛い2人が出迎えて...はくれないが、待っていてくれる。

ふうた

 

てん

 

ひとっ風呂浴びる前に、2匹をこねくりまわす。

ふうちゃん、てんちゃん、ただいまー。

ちょっと抱っこさせてー。

 

 

あっ、ふうちゃん・・・

 

 

  あっ、てんちゃん・・・

 

 

ちょ、待てよ・・・

 

 

 

幸せな毎日だ。

 

 

 

ここのところ、ほとんどブログを開くことなく過ごしておりましたが、

真面目に、大切に、お蚕さんを育て、農作業に勤しんでおりました。

 

そして昨年は、『蚕から糸へ糸から着物へ』という取り組みを行い、学び多き素晴らしい時間を過ごしました。(こちらはまた改めて)

 

 

この1年半程の間、両親の入院、リハビリなどで、慌ただしい日々を送っておりましたが、ようやくこの生活にも慣れてきて、少しづつ落ち着いてきました。

その間、周りのたくさんの方々にお世話になり、そして医療従事者の方々への感謝は尽きません。

今は、担当のケアマネージャーさんに色々とアドバイスをいただいたり、分からないことは相談をしたりしながら、皆が快適に過ごせるよう暮らしを整えたりしながら、両親・娘(私と姉)・猫・亀 共に、小さな小さな、幸せと喜びと発見と感動を詰め合わせたような、穏やかな日々を送っております。

 

 

生活や環境など、自分の中でさまざまな変化があった1年半、なんだか、自分の精神や思考回路が以前と大きく変わったなあと思います。

色んなものがそぎ落とされてスリムにシンプルになったような。

 

変化が起こるたび、それが日常となっていくまでの間は、苦しいことの方が多くて、何度も何度も自己嫌悪に陥ったり、自分の精神の未熟さを知るたびに落ち込む日が続いたりもしたけれど、今思えば、その間の焦ったり葛藤したり抗ったりもがいたりしてる時間の中にたくさんの学びや成長があって、無意識に思考を調整したり、そぎ落としたりしながら、いつの間にか変化が日常へとなっていったような気がします。

 

そんな変化を繰り返すたびに、幸せのハードルがどんどんと下がって、目の前にある小さな小さな幸せにたくさん気付けるようにようになった気がします。

 

 

色々とキャパオーバーな日々の中で、自分にとって大切なものは歯を食いしばってでもムンズとしっかり掴んでいたけれど、指の間からこぼれ落ちてしまったものたちは仕方がない。もう本当に、考えても仕方がない。

 

思考回路が随分とシンプルになった現在、考えたいことと考えても仕方ないこと。悩みたいことと悩んでも仕方ないこと、の分別がとても上手にできるようになりました。

気持ちの切り替えも。

 

 

 

この1年余り、なんとなく、自分の心と体の歯車がうまく噛み合っていないな~と、強く感じていたけれど、たぶん、これからの自分の生き方に合わせたもっとシンプルで軽やかな歯車に、新しく作り替えられていた調整の時間だったのだろうと思う。

 

これまでの人生で知らないうちに抱え込んできた、思考の癖や、拘りや執着などなど。もうこれからの人生に必要のなくなった色んなものに感謝をしながら、手放したり、昇華させたり。そんな時間だったのだろうと思う。

 

シンプルな目線で、日々小さな幸せを見つけていこう。

 

私にも、夢や目標といった、自分で描いた人生の地図のようなものを持ち合わせてはいるけれど、どこかにある幸せではなく、今、ここにある、見過ごしてしまいそうな小さな小さな幸せをひとつづつ集めて、それを慈しみ感謝しながら生きていれば、たいそうな地図など持たずとも、おのずと同じような場所に辿り着くような、そんな気がしています。

 

もう間もなく、新しくリニューアルした歯車がコトンと噛み合う音が聞こえてくるような、そんな気がしている今日この頃です。

 

 

暑い日が続いておりますが、どうか皆さまお身体には気を付けて、暑い夏を乗り越えていきましょう。