2013年11月30日土曜日

蚕神社の大掃除

本日は先輩農家の皆さんと蚕神社の大掃除をしました。
来週行われる感謝祭に向けてです。
草や木を綺麗に刈って、境内や岩やお墓をぴかぴかに磨き、
最後に皆で注連縄を編みました。

「違う違う、そっちば引張らんね~」
「もっと力ば入れんね~」
「違う、巻き方が逆たい」

と、優しく指導して頂きながら、最終的に藁を渡す役目に徹し、2時間ほどで編み終わりました。

今は湧水がモーターで引かれていますが、昔は離れた所まで何度も歩いて汲みに行っていたそうです。
私は初めての参加でしたが皆さん何十年間も、
今年も無事に育蚕を終えれた事や、お蚕さんへの感謝の気持ちを込めながらピカピカに磨き続け守ってこられたんだな~と、注連縄を編む力強い手を見ていたら、
現在ようやく私もその一員となれたことや、これから毎年ここを掃除して守っていけることなど、全てが嬉しくて感謝でいっぱいの気持ちになりました。

蚕神社には蚕の神様といわれる、島己兮(しまいけい)さんのお墓があります。
島己兮(しまいけい)さんにも勿論感謝の気持ちをお伝えしてきました。

島己兮(しまいけい)
「かいこの神様」といわれ、肥後の養蚕業の普及発達に貢献した志賀氏の墳墓である。志賀氏は、名は親民半右衛門と号し、隠居して、島己兮と改めた。下米野の住んで、養蚕機織をしていたのを堀勝名に見出されて藩公の命をうけて、宝暦11年(1761)12月から翌年6月まで京都を中心に機械業先進地をめぐって、技を磨き帰国後、養蚕並びに織絹方主任を仰せられて、広く肥後各地を巡回して、その指導にあたり非常に大きな功績があり藩よりもたびたび褒賞を受けた。寛政8年(1796)12月2日、75才で歿した。(山鹿HPより)
 

2013年11月14日木曜日

94歳の元養蚕農家さん

今日はご近所の元養蚕農家の方のお宅へ遊びに行きました。
昔は地域ごとの共同飼育所で女性が集まって稚蚕を飼育していた話とか色々な話が聞けてとても楽しい時間でした。
現在に比べて便利な機材も少なく、年に5回の育蚕、畑の管理、稚蚕からの飼育と大変な労力だったと思います。
しかし、語られる養蚕の記憶は楽しい思い出でいっぱいでした。
「ほんなごつお蚕さんは可愛いかもんなぁ~」と語られるお婆ちゃんはとても可愛かったです。
昨日は94歳のお誕生日だったらしく、孫・ひ孫たくさんの家族に囲まれてシャンパンを飲んだとのこと。
「アレ美味しかね」って笑ってらっしゃいました。
本当に素敵です。お元気です。
帰り際、「あんたんとこの畑がもうちょっと近かったら桑刈り手伝いに行くとやけどね~」
と言ってくださいました。
お気持ちだけで十分ですよ。
でも、お蚕さん達に会いにきてほしいな。

2013年11月1日金曜日

納入完了

2013年晩秋蚕期の繭を作家さん達に無事納入いたしました。
「よか繭やね~」との言葉をいただき、嬉しい限りです。
来年の春繭はもっともっと綺麗に仕上げます。
ご購入していただいた皆さま、本当にありがとうございました。
素敵な作品を心待ちにしております。

自身の記録用として2013年晩秋蚕期の様子をまとめました。
よろしければご覧くださいませ。
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